今日はダメだ。
もともと走るつもりだったが、どうも体調が良くないので中止にする。とはいえ、もともとのもともとは昨日がランオフ日だったので、妥協はしていないということにする。
月200キロという数字が月末になって見えて来たので、ついつい3ラン1休のペースを変えてまで走ろうとしていた。
やはり、無理をするとその時は良くても、反動がくるもんだと思った。
目先の小さな数字よりも、大切なのは長く走り続けることだ。今、月に200キロとかいう大したことない数字にこだわる意味なんてほとんどない。それで怪我でもしようもんならたまったものではないし。
もっと言えばランニングは小説のためなので、なおさら目の前の小さな小さな数字にとらわれている場合ではないのだ。
ランニングは苦しみながら歯を食いしばって耐えてやるものではない。
あくまでも楽しみながら、無理なく気持ち良い範囲でやるものだと思う。(実業団選手ではないので)
だから”がんばらなくてもいい”という強度でやることが大事だと思う。
ランニング以外のことに関しても、”頑張らないと”できないようなことは、どのみち長くは続かない。少なくとも僕の場合は。
だから、頑張ってやるようではダメなのだ。
小説も同じなんじゃあないかな。
苦しみながら、精神を病みながら書くようなものではない。楽しみながらやらなくっちゃあ。
そりゃあ文章が浮かんでこなくて苦しい時もあるし、ぜんぜんアイディアがまとまらなくてダメだなーと思ったりする。
だけどそういう障害があるのは当たり前だし、その壁を越えていくところに面白さがあるのではなかろうか。(まだ1編も書き上げてないぶんざいでほざいてみる)
ランニングだって、スポーツだってなんだってそうでしょう。
難しいから、面白い。
そうそう、最近なんか、ひろゆき氏が宝くじ買う奴バカってツイートしたのが批判されてる話がある。
しかも鬼の首を取ったかのように、各ウェブメディアがひろゆき批判の記事を上げてる。
正直、すっげえバカだと思う。
ひろゆき氏の言うことが正しい。
だいたいなんでそんなことに目くじらをたてる必要があるのか。
宝くじを長蛇の列に並んでまで買うヤツなんて、バカでしょ。それに対する反論は、
「ほとんどの人はそれで人生変えようとか思っていない。そんなことも想像できないでバカ呼ばわりするひろゆきは思考がおかしい」
「数百円を娯楽に使ってるだけだしー。別に億万長者になれると思ってないしー」
これですよ
負け惜しみっつうか、どうせ当たらんて分かってるならなおさら買わなきゃいいじゃん。
あと、「これで夢を買ってるんだよ。そういう娯楽を否定するなんてけしからん」
とかいう意見も見る。
何が夢を買うだバカ。つうか夢ショボくねえか?数百円で買って、夢だと?
ワクワクを買う娯楽だと言うが、そんなことのどこがおもしろい?あなたたちの楽しみ方ってそんなものしかないの?と思う。
そう、ただチケットを買うことなんか、楽しくもなんともない。誰でもできることをやっても面白くない。
それならまだパチンコのほうがおもしろい。あれは釘読みと回転率の計算、止め打ちなど、技術が期待値に貢献する部分がけっこうあるからね。ただの運任せではなく、自分の技術を使えるってこと。
何が言いたいかって言うと、楽しさというのは、自分で何かを作ったり、新しく何か(技とかスキルとか)を習得したりすることにあるのだよ。
もちろん映画を見たりとか、本を読んだりとか、美術鑑賞するとか、ただ消費することでもたのしさはもちろんあるけどね。
消費するだけの楽しみは、まだ楽しさの深いとこまで行ってないと思う俺は。
音楽をただ聞くより、じゃあ今度は自分でもやって見るかっつって、ギターとか始めてみるほうがずっと楽しさは増えるんだぜ?
やってみたら、一流の人たちがどんだけすごいレベルでやってるかわかるし、音楽の聞こえ方も変わってくる。
つまり、より深い世界に入っていけるってことだ。だから楽しいんじゃあないか。
宝くじの話にもどるけど、それが楽しみだからとか言ってる人って、寂しい人だなと思う。
それだけならまだいいけど、それを指摘されて怒ってるような人たち。それを煽って記事にしてる浅ましい人たち。ダッセエ
宝くじという夢にかけてる額は数百円とかいう言い訳みたいなのしてる人もいるけど、なによりバカなのはそれを買うのに並んでる時間を無駄してるってこと。
そんな時間の使い方しかないのか?英単語の一つでも覚えたら?その時間1分でもいいから俺にくれない?
まあとにかく今日はそんな日だ。
体はだいぶ疲労が溜まってる。
月200キロ到達はこれでお預けとなるが、べつにいいのだ。長い期間、ペースを維持するのがマラソンだし。まだマラソン走ったことないけどほざく。
同じように、長い期間ペースを維持して書き続ける。これが小説でしょ。まだ1個も完成してないけどほざく。
このほざきが、なん年後かにもっと実感を持って、重みを持って発言できる自分になっていたい。