今日のランは10キロ、1時間。平均キロ6分だった。
30キロ走後、調子の悪かった左足首の痛みが悪化していたが、ほとんど悪化前くらいの状態まで戻ってきた。
昨日も書いたインソールのおかげもあってか、今日のランでもかなり調子が良く、走った後も痛みが出なかった。
足の疲労も全然少なく、これなら練習強度をまた上げてっても問題なさそう。
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モチベーションについて
今日の小話。ランニング中に思いついたことをテキトーに書いていくコーナー。
今日はモチベーションについて。
誰でもどうしてもやる気が出ない時ってあると思う。
僕なんかほとんど毎日やる気がない。
しかし、それでもランニングを始めてから8ヶ月は続いてるし、ストリーク(毎日ラン)をスタートしてからは今日で20日継続だ。
この毎日日記もたぶん、そろそろ3ヶ月くらい続いていると思う。
いちおうそれなりに継続できるようになったと自分では思うが、なぜそうなったのかというのが今日の話だ。
やる気は必ず衰える
何か新しいことを始めて、始めはやる気マックスだが、そのうちモチベーションが下がり、すっかりやらなくなってしまった経験は多くの人がしていると思う。
僕も例外なく何度もそういう経験をした。
いろいろ挑戦したが、結局どれも続かなかった。
その度に自己嫌悪に陥る。
誓いを立てたはずなのに、、、あんなに好きだったはずなのに、、、
どうして、情熱が冷めてしまうの?
ほんとはそんなに好きじゃなかったの?
僕の覚悟は、豆腐みたいにやわやわだったの?
という具合に。
その度に、自分は何が好きなのか、何が得意なのか、どうしたいのか、わからなくなった。
好きなことだって続かないんだもの。
ところがある時、こんなことに気づいた。
モチベーションとかやる気は、そのうち必ず下がるものだ
ということに。
それはいくら好きなことだって、ずっとやり続ければ辞めたくなるのだ。
いくら寝るのが好きな人だって、3日も寝てれば起きる。
というか、脳科学の話によると、そもそもやる気なんてものは存在しないらしいし。
つまり、モチベーションが保てない自分が悪いのではない
むしろ、人として健全である証拠なのだと思えるようになった。
とすればよ?
モチベーションは必ず下がるのだから、そういうものだと思ってればいいのだ。
モチベーションが下がった自分を受け入れる。
やる気は必ずなくなるのだから、そういうものだと思っておく。
やる気のない自分を受け入れる。
こうしておくと、不思議なことにむしろ逆に行動できるようになる。
要は行動が起こせればOKなわけなので、その行動にやる気が伴っているか、目がキラキラしてやってるかは関係ない。
めんどくせーって言いながらでも、動いていればOKなのだ。
やる気ないなー、まあ、そういうもんか、で終了ということである。
行動するのにやる気は関係ないということ。
どうせやるのだから、そこに気持ち的なものって関係ないよね?てこと。
やる気はなくなるし、モチベーションは下がる。
そういうものだと思っていれば、やる気のない自分に自己嫌悪することはなくなる。
自己嫌悪するってことは、それだけでエネルギーがガッツリ減るんだよね。
一人で落ち込んでパワー削ってるなんてもったいないでしょ。
嫌悪するだけむだ。無駄無駄。
もちろん、モチベーションが高い時期もある。
人ってのは波があって、どうやっても上がったり下がったりするわけだ。
モチベ高ければノッてやればいいし、下がっても当たり前と思う。
だから何も、モチベが下がったからといって律儀にやめる必要ないんですよ。
波は必ずあるのだから、それとは無関係に、ただやる。淡々と。
やる気がどうこうじゃなくて、実際の行動だけに価値があるのだから、無感情でただただ始める。
以上のことに気づいてからは、むしろ行動できるようになり、継続できるようになった。
やる気は日々勝手に上下するが、それと行動とは別ものになったのだ。
やる気と行動を切り離せば、行動するハードルが下がる。
だって、やる気関係ないのだから。
やりさえすれば、成果物はミニマムでもいいと思っている。
自分へのルールは極限まで甘い。
文章は最低1行書けばOK
ランニングは10分でOK
でも結果的に、やり出したらいつもそれ以上にやってしまう。
脳科学ではこれを作業興奮というらしい。
いくらやる気があっても、それだけでは1ミリも現実は変わらない。
行動でしか、なにもかわらないのだ。
やる気はただの気持ちであって、行動ではない。
気持ちがいくらあっても、スプーンは曲がらない。
やる気なんか一切なくても、ちょっと引っ張ればスプーンは曲がる。
それだけのことだと、やっと気づいた。