はじめてのハーフマラソンの大会に出たのはおとといだが、なんだかもう楽しくて気持ちよくてとにかく最高の気分だったことがすごく心に残っててなんかもうアレだ。
間違いなく、一生忘れない思い出となることだろう。
なんだかよかったなあ。
スタート直前のあの程よい緊張感。
みんなそれぞれのレベルで一生懸命やる、あの前向きなポジティブな感じ。
いい大人がみんなして真剣なんだよ。
それぞれが、何かしらの目標なり課題なりを自分なりに持って、それに挑戦してるんだよなあ。
空気感からそういうのがわかる。
腑抜けたおちゃらけた場なんかでは絶対にありえない空気感なんだ。
みんなすごくいい顔してるし。
健康的だし。輝いてる。かっこいい。
そんな大人って、よくね?
大学を卒業して、同時にずっとやってきた野球を、僕は手放した。
それ以来、何かを真剣にやったことがなかった。
大学の引退試合では、それまでの練習やチームマネジメントを含めて一生懸命やってきたので、納得のいく結果が出せずに泣いた。
高校野球の夏の大会でも、負けて泣いた。
くやしいのと、思い出との別れと、そういうのがいろいろ混ざった涙だ。
全力でチャレンジしないと出てこない種類の涙。
大学卒業と同時に、それほど情熱を傾けられるものを手放してしまったので、もうこの先の人生で、そんな涙を流すことはないだろうと思っていた。
まだマラソンで泣いたわけじゃないけど、きっと走るという行為は、そういう類の感動をくれるんじゃあないかと思う。
僕は一人で大会に出た。
もちろん知り合いなど誰一人いない。
一緒に走ってくれる友人もいない。
当たり前だが、応援してくれる人も、見ていてくれる人もいない。
ただ一人でポツッとエントリーして、さっさと走って、帰ってきた。それだけ。
走り終えた時に、「お疲れ!」「ナイスラン!」などと労う仲間もいない。
なのに、僕は最後の5キロ、限界のペースまで上げて、現時点の自分のベストを出すべく努力した。
限界まで追い込んだ。何年ぶりだろう、そんなのは。
僕は思った。
「誰も僕のことなんか見てないのに、一体どうしてこんなことしてるんだろう?」
わざわざ苦しい思いまでして、一体何になる?
でもねえ、何にもならなくたっていいんだよ。
自己満足なんだから。
自己満足ではダメで、人のためになることが価値がある、というようには言われるけど、僕は究極的には自己満足こそ大切だと思うな。
つまるところ人生なんて、結局は自己満足じゃあないか?
だって、死ぬ時に後悔しないってことは、自分自身に満足するってことだろ?
つまり、自己満足こそが人生の目的、そうじゃあないか?
人はね、きっと自分がどこまでできるのか知りたいんだよ。
自分の可能性を知りたい。自分でもできるって、確かめたい。
だから、誰も見てないのに、歯をくいしばるんだよ。いい大人が。
それって結構素敵じゃない?
そんなバカで素敵で変態な大人が、いっぱいいたよ。
走ることは、若き日にどっかに忘れてきた、アツくて湿っぽくて、無条件に泣けてくるような感覚を、もう一度僕に与えてくれるのかもしれない。
そうなんだとしたら、僕は一生ものの宝物を見つけたってことだ。