今日は軽めに、7キロちょいのラン。
朝(というか昼)起きたら、ガーミンくんが示すBody batteryが低めの数値で、確かになんだかか疲れが取れていなかった。
一体何をどうやって計っているのか知らんが、ガーミンのボディーバッテリーて意外と正確に言い当ててくるから不思議だ。
キャラなんか作らなければラクです
「キャラ違いの自分を作らなくてもいいんだ、と思うようになったら生きるのがラクになった話」をしようと思う。
社交的で交友関係が広かったり、話がうまくてすぐ周りから好かれる人っているよね。
あと上司から可愛がられたり、アピールするのがうまいやつとか。
そういうのが社会人としてあるべき状態だと、僕は長年思い込んでいた。
そしてそんなふうになろうと努力したりもした。
だけど、そんなキャラに頑張ってなろうとしてもなれないし、なんつーかめっちゃしんどかったんだよね。
瞬間風速的にはできるんだよ、そういう人格。
だけど毎日それって、しんどすぎてできない。
そのうちだんだん、できない自分は劣ってるんだと思うようになった。
何も意識しないでいると、無口で暗い感じなんだよね、自分。
でも前にいた会社では、とにかく”元気”を要求された。そういう社風だから、と。
だから素でいると、「元気がない」つって怒られた。いや、元気はあるんだけど。黙ってるだけなんだけど。いちいち返事とか大声でする必要ある?
理想的な社会人像になれなくて、自分劣ってると思った。
キラキラしてるように見える人たちを羨ましいと思った。
それになろうとしたけど、ますます苦しくなった。
でも、会社を辞めてからだんだん変わった。
一人でいることが多くなったから、キャラなんか作る必要がなくなったのだ。
よそ行きの自分を作らずに生きていられる状態は、とてもラクだった。
そのうち、あることに気がついた。
どうせ孤独なのだから、人に好かれる必要なんかない。たくさんの友達がいる必要もない。素のままでいて、親しくなる人がいればそれでいいし、いなくてもそれでいい
ということ。
友達なんて努力してつくるもんじゃない。
人脈?そんなのいらない。
自分のやりたいことやって、自然につながった人がいれば、人脈なんてそれで十分。
俺と話したければ、こっち来れば?来るもの拒まず去る者追わずよ
苦しかった理由がわかった。キャラ違いだったのだ。
もともと自分はそんな性格じゃない。違う自分になろうとしても、無理が生じるだけなのだ。
自分の世界を大切にする人は、そんなに多くの友達は必要じゃないと思う。
もともと社交的じゃないんだから、どうせそんなにたくさん周りに人がいても疲れちゃうし。
大事なのは、自然体で、素でいること。
キャラ違いの自分を演じる必要はない。
それがわかったら、人間関係なんて悩むことがなくなった。
自分はこういうキャラなのだから、これでいいの、と今では思えるのだ。