2022年になり、はや1ヶ月経過。
ランニングは初めて1ヶ月の走行距離が200キロを超えた。(246.9キロ)
ランニングは昨年の6月から始めたから8ヶ月経ったが、なにげに200キロ走れた月はなかった。
なんだかんだ言って、やはり体力不足で距離が稼げていなかった。
そこから比べると、もはや毎日走ってもそんなに疲れないので、それなりに体力はついたと思う。
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正月の1月4日には初めてのハーフマラソンも走れたし(ニューイヤーマラソンin昭和記念公園)、1年のスタートとしてはまあまあいい感じだと思う。自分にしては。
文章力のトレーニングのために始めた毎日日記(日記マラソン)も、今の所1日も穴を開けずに続けられていて、自分としてはエラいほうだ。ブログのアクセスは全く増えないけどな。
だが、肝心の小説執筆については、未だ進捗が悪い。
もともとランニングも毎日日記も、この小説を書くということのために始めたものだ。
執筆のほうも毎日欠かさず続けているとはいえ、1日の進み具合が遅い。
初稿の執筆をスタートしてからもう3ヶ月ちかく経つが、話はまだ中盤すぎくらい。枚数にして原稿用紙300枚弱くらい。
ここから話の繋がっていない部分を加筆したり、推敲したり構成をいじったりすることを考えると、気が遠くなる作業量だ。
ナメているつもりは全くなかったが、長編小説を書くというのは生半可ではない。
まあ、ランニングが面白くてそれ自体が目標になっているが、それはそれでもちろんOKだ。
なにごとも挑戦するのは楽しいものだ。
4月のフルマラソン、小説の完成を目標に、登山に行きたい衝動を今はちょっとがまんしながら、前進していく。
今日の小話
ランニング中に思いついたことをテキトーに書いていくコーナー。
今回は「冒険する」ということについて
職場の筋トレマニアを話していて最近話題に上ったことがある。
それは「バイトくん達って頭も良くて優秀だけど、冒険しないよね」
という話だ。
職場は居酒屋で、バイト君達は僕ら(僕と筋トレマニア)と同じ大学の後輩だ。
大学は某国立大なので、偏差値はそこそこ。確かに彼らの学力は優秀だ。僕らも一応同じ大学出身だが、僕らより頭いいだろう。
就職活動の話を聞いていても、どうやら結構いいとこに内定もらいそうな感じで話している。
これの何が悪いの?と思われるかもしれない。
もちろん、何にもおかしくないし、むしろ理想的かもしれない。
しかし、僕らから見ててなんかおもしろくないのだ。
たぶん、ぼくなんかよりいい給料をすぐもらうようになるだろう。
もちろん、そういう生き方を否定する気は全くない。
だけど、それでいいんかなあ?とは正直思う。
わかってますよ。お前なんかの貧相な価値観で若者を否定するな!って?お前ごときに意見されても関係ない?
おっしゃるとおり。
これは僕の意見だ。
もっと冒険したほうがいいんじゃあないのかい?
と言いたい。
だって、すごくもったいなく見えるんだもの。
若くてエネルギーに満ちているのに、通り一辺倒の世間的価値に迎合して、その通りの人生を歩もうとしているんだもん。
もっと、自分の考えを持って行動したらいいのに。
いくらでも失敗できるし、背負うものも何もないんだから、もっと自由なはずなのに。
冒険したらいいと思うのだ。
冒険ってのは、どこか秘境に行くということではなくて(もちろん文字通りの冒険もサイコーにクールだ)、未知へのチャレンジという意味だ。
それは知らない学問でもいいし、興味ある分野の本でもいい。
スポーツでもいい、走ることもいい。ユーチューバーでもいい。
旅をするのもいいと思うし、語学なんかもいいな。
そういう、直接的には金稼ぎにならないものに、もっと興味を持って挑戦してもいいんじゃあないか?と思うわけだ。(極めればマネタイズ可能なものも多いだろう)
もちろん、これは僕の価値観でモノを言っている。
そして、自分が大学生だったころどうだったかというと、今の大学生と同じだ。
だから仕方ないのかもしれない。
よくも悪くも、うちの大学はそういう校風なのかもしれない。
そういう校風だからそういう学生が育つのか、そういう学生が集まるから校風ができあがるのか、それはわからない。
けど、よくも悪くも、昔から学生の質は変わらないようだ。
一言で言うと、「いい子」なのだ。
たぶんそれなりに社会で評価されて行く人たちだろう。
だから、普通にそのまま生きていれば、なんの不自由もなく人生を送れそうだ。
すばらしいじゃないか。
だけど、それだけでいいの?
僕はぶっちゃけ特殊だから、こんな奴の意見には誰も耳を貸さないだろう。
なにか目立った実績でもあれば傾聴に値するのかもしれないが、それもないのでただのたわごとにしかならない。
その筋トレマニアもきっとこっち側に人間なのだが、彼の名言があるので紹介しとく。
「男なら、黒歴史の一つや二つくらい持ってないと」
これは響いた。
そうだ、恥ずかしい歴史だっていいのだ。どうせ他人のことなんか誰も気にしちゃあいない。
黒歴史なら、僕はまあまあ持っている方だ。まだまだ甘いけど。
何回かユーチューブにチャレンジして、その度に辞めてを繰り返し、、オンラインサロンやったりもしたし。
カラオケ講師もやった。ブログも。登山も。
全部失敗したし続かなかった。
もしかしたらフェイスブックでつながっている人からは、嘲笑されていたかもしれない。
「また変なこと始めたぞ。あれ、もうやめたのか」
などと。
だが、私は一向に構わないッ!!
バカにすればいいよ。
今までやってきたことどれもが、僕の冒険なのだから。
バカにされようがなんだろうが、僕はこれからも自分の冒険を続ける。
これは普通に就職することを否定するものではない。
その仕事にだって冒険はあるのだから。
普通に就職して就いた仕事に面白みを見出し、努力して自分だけの冒険にまで昇華させていくのもサイコーにかっこいい。
ただ、僕の場合は、会社員としての生活でそれが見出せなかったということ。
だから、会社の外に出て冒険を探した。
問題は、彼ら(現役の学生)が、主体的な意見を持って、人生のコマを進めているように見えないことだ。
自分はこうしたい、こういう人生を送りたい、こういうのが理想だ、という意見だ。
流されている。
それではもったいない。
コロナでヒマだーとか言ってる場合じゃないよ。