おっさんが居酒屋で語るクソ話

矛盾を受け入れると楽に生きられる。まじめ過ぎなくていいのだよ

2021年5月15日

矛盾を受け入れたら、もっと楽に生きられるかもしれない。ふとそう思いました。

世の中で矛盾していることって、良くないこととされてますよね。筋が通ってないし、辻褄が合わないということなんですから、まあ当たり前なのですが。

 

でも現実は自分も世界も、矛盾だらけなんですよね。

例えば僕の場合、好きなことのはずなのに、めんどくさいと思ってしまうことがよくあります。好きなことなのに、頑張れないのです。

僕は登山が好きですが、休みが取れていざ山へ行こうとすると、準備とかめんどくさいし正直だりーなと思います。これから登ろうとする山を前にビビって、「なんでまたこんなとこ来てるんだろう」と後悔します。

 

そうやって自分の中に矛盾を感じるたびに、罪悪感というかなんつーか、自己肯定感が下がります。

「ほんとうに何ひとつやり通せない、一貫性がない人間だ」

 

あなたがもし、似たような感覚を持っているなら、僕らはもっと自分に優しくてもいいのかも知れません。

だって、誰が矛盾しちゃいけないって言ったんでしょう?

一貫性が無くて、実際のとこなんかマズいでしょうか?

僕もあなたも、真面目すぎやしませんかね?

そういう話をダラダラ書きたいと思います。

 

なぜ矛盾を受け入れることができないの

僕らは子供の頃から、

「自分で決めたことが最後までやりなさい」

と教え込まれます。それが美徳とされます。

もちろん、それは素晴らしいことです。有言実行、初志貫徹の人は本当に尊敬します。

 

そうやって育ってきてるから、自分でこうと決め、しかしそれをやり通せないと、ダメ人間のレッテルが貼られてしまう。

でも、そのレッテルを貼っているのって、実は自分自身だけじゃないですか?

 

一時的には、他人が僕らを否定するかもしれない。

でも、否定的な言葉を投げかけてくる時点で、だいぶマシなのではないでしょうか?

だって、僕だったら他人のことなんざ興味ないもん。それなのに、わざわざ評価してくれてるんですから、よほど僕らに興味あるんでしょう。

実際、何かがやり通せなかった僕に対して、批判の一つでもコメントしてきた人なんて一人もいません。

 

一番の自分の批判者は自分かもしれないですよ。

「最後までやりとおしなさい」

この金言が、僕らを苦しめているのです。

潜在的にこの意識が僕らにはあるから、自分の中の矛盾を受け入れられないのではないでしょうか?

 

完全なものはない、世界ってそういうとこだよね

最近はオリンピック中止論が騒がれてます。

それ関連のヤフーニュースのコメントで印象深い指摘がありました。

 

コロナ禍の今オリンピックを開けば、それのせいで失われる命が少なからずあるだろう。

しかし、何かを得れば何かは失われるものでもある。

例えば自動車だって、その恩恵は言うまでもないが、それのせいで何万人も交通事故で亡くなっている。

しかし、だからと言って「車を無くせ!」とはならない。

ここではオリンピックどうのこうのは話しないけど、なにかを成したらそれで完全になることって、存在しないんだな、と思いました。

 

それは個人レベルの話にしても同じことで、何かを得ようとすれば何かを捨てなければならない。

進撃の巨人でアルミンが言ってましたが、

何かを成し遂げられる人は、大切なものを捨てることができる人だ

漫画のセリフだけども、この言葉はなんだかズッコーンと刺さりました。

 

もし世界がそういう仕組みなのだとしたら、何かを失ったり、痛みを伴うことを恐れてはいけないのかもしれません。

それは一見つらいことのように思えるけど、「そういうもんだ」と開き直ってしまえば少し強くなれる気がします。

 

世界はもともと矛盾しているのです。それを受け入れるしかないのです。たぶん

もともとそういうものだと受け入れてしまえば、多少痛みがあってもネガティブにならずにすむのではないでしょうか?

 

0か100というものはない

僕みたいに、自分の中の矛盾をなかなか受け入れられない人ってのは、おそらく極端なのではないかと思います。

まじめな人がそうなりやすい気がします。

 

自分はこれが好きなのだから、絶対にがんばれるはず。

でも、実際には人間そう単純なものでもないのです。

 

例えば、絵を描くのが好きな人がいたとします。

でも、絵を描く人全員が、ピカソみたいに死ぬ間際まで描き続けることができるほど好きかと言われたらそうじゃない場合が大半でしょう。

当のピカソさんだって、ひたすら描くことで一切のストレスが無かったとは考えにくい。

 

あのイチロー氏だって引退会見で、野球が好きというだけではやっていけなかったという感じのことを言ってます。それがプロという世界なのだと。

 

僕も野球が好きでしたが、好きなのに練習を頑張れないことが多くなり、高校ではもうほとんど苦痛になっていました。

その矛盾が自分の中で理解不能だったのです。

嫌いになったわけじゃない。でももうやりたくない。あれ?なにこれ

 

僕はクソまじめタイプの人間なので、

好きだったら100%好きでなければいけない。

100%好きならば、100%全力でできなければおかしい。

そういう思考でした。

 

しかしこれが自分を苦しめた。

本来、人間0か100%にはなるはずがないと知らなかったからです。

つまり、矛盾を受け入れられなかった。それが自己肯定感を下げ、自信を失っていった。

 

でも、本来そうじゃないんですよね。

矛盾する自分を受け入れないと、そりゃあ苦しいです。

好きだけど、嫌な部分があってもいいのです。51%好きで49%嫌いでもいいのです。

そういうものだと受け入れていれば、その上で手に入れたい結果のために、どう向き合っていけばよいか考えることができます。

 

矛盾を受け入れれば楽に生きられる

人間も世の中も、それ一つで完全になるものは存在しない。

もともと矛盾するものなのだ、と受け入れてしまえば、生きるのが楽になります。

 

何か行動を起こせば、得られるものは必ずあります。しかし、失うものも必ずあります。

でも、もともとそういうものです。

好きだけど、嫌になることもあります。

でもそれは、あなたが一貫性のない意志の弱い人間なのではなく、そういうものなのです。

 

だから、自分の中に矛盾が生じた時、どうか自分を否定しないであげてください。

人間らしくていいじゃないですか。

嫌だと思っても、1%でも好きが上回っていたら、またやればいいんです。

矛盾していることが、むしろ矛盾していないのです。

 

そんな風に自分を愛してあげれたらいいですね。

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