僕は高校生の時、当時の野球部の監督から練習中にこう怒鳴られ(叱られた?)たことがある。
「この意志薄弱野郎が!」
[いしはくじゃくやろう・・・]僕は当時、何を言われているのか理解できずに困惑した。
ただとにかく何か、僕の人格的な部分の深いところを否定されたのはわかった。
あれから20年近くたつが、当時のことはよく覚えている。
よく理解できなかった監督の言葉は、その後の人生で何度も何度も脳内再生されることになった。
高校時代、僕は硬式野球部に入って甲子園を目指していたが、他の多くの球児と同じように、僕は掃いて捨てるほどいる無名選手の一人に過ぎなかった。
高校は甲子園出場とは程遠い地元の進学校だったし、実際に野球のレベルも大したことはなかったが、それでも日々の練習は過酷を極めた。
ある日の練習でのこと。
細かいことは覚えていないが、確かケースを設定して打者の判断で走者にサインを出し、作戦を実行するという内容の練習だったと思う。
守備側も攻撃側の意図を読んで、それに応じた守備位置を取る。実戦に近いケースで、判断力と実行力を鍛えるというものだ。
(今でこそ練習の意図を言語化できるが、当時の僕は明確に理解せずにぼんやりやっていた。監督は自分で考えろ、と意図を説明しなかった、、、のか、僕が聴いてなかったのかは定かではない)
打者の僕は、オーソドックスにバントのサインを出した。(あまり考えてやってなかったので、それくらいしか思いつかない)
あとは、守備位置の動きを見て、1塁側・3塁側のどちらに転がすかの選択だ。
ピッチャーが投球した。
どちらに転がすのか?まずは1球見送るのか?
判断が曖昧だった僕は、中途半端なバントをしてしまい、最悪のキャッチャーフライを繰り出してしまった。
そんな僕に監督が放ったのが、後の僕の人生のことあるごとに脳内で反芻される、あの言葉である。
「この意志薄弱野郎が!」
毎日の練習で心も体も疲弊していた僕には堪えた。野球についてではなく、人格そのものを否定された気がしたからだ。
僕には何が欠けているのか、高校を卒業後もわからなかった。
一生懸命やっているつもりだった。
いつも全力で走ったし、誰よりも声を出した。道具の手入れも誰よりもきちんとやったし、グラウンド整備や部室の掃除もきちんとやった。だから毎日クタクタになった。
しかし実際にそんなに野球がうまくならなかったし、監督から認められることも、とうとう最後までなかった。
自分でも、つねに「そういうことじゃない、何かがズレている」という感覚があった。
そのズレ感覚は、大学、就職、脱サラ後もずっと残った。そしてそれは今も。
最近でも夢によく出てくる。あの怖かった監督。
夢の中では高校生当時よりはうまくやる僕だが、そこに監督がいても認めてもらえることはない。
ちきりんの「自分の意見で生きていこう」を読んだ
昨日、ちきりん氏著の「自分の意見で生きていこう」を読んだ。
その中で最も響いた言葉がこれだ
人生において一番だいじなのは、”自己決定”です
自己決定するには、自分のアタマで考えて導き出した、”自分の意見”がしっかりしてないといけない。
自分はこうありたい、こういう人生を歩みたい、という意見が明確である必要があるのだ。
意見が明確でないから、”決められない”のだ。
人生のあらゆる選択を、決められない。あるいは、先延ばししてしまう。
最悪なのは、他人の意見や世間の常識によって、なんとなく決めてしまったりすることだ。
これを読んだ時、僕は泣けてきた。
「ああ、僕は今まで、何も自分で決めてこなかったんだ」
ということに気づいてしまったから。
そして、これこそが、あの時おっかない監督が僕に投げつけたあの言葉の意味だったのだ。
「自分で決定しろ」
「そして自信を持って実行しろ」
そういうことを求めていたのだろう。
僕はきっと、自分で決めるのが怖くて、そこから逃げていたのだ。
自分で決めると、当然結果に責任を持たなければならない。
「その決断は間違いだ」という批判も受けなければならない。(ちきりん曰く、”意見”=ここで言う”決断”に正解も誤答もないが。詳しくは本を嫁)
その覚悟ができなかった。
監督はよく、「自立しろ」という言葉も使っていた。
それは「自分で決めろ」ということと同義だ。今なら理解できる。
しかし、当時は何をもって自立なのか?わかってなかった。
きっと監督は、すべて自己決定し、その結果を受け入れ、責任を持て、ということを言いたかったのだろう。
それこそが自立であり、大人になるということなのだと。
僕には社会人になってからも、「コレジャナイ感」をずっと抱えてきた。
一応進学する大学も自分で決めたし、就職先も、退職も自分で決めたつもりだ。
しかしどこか、「手ごたえ」や「張り合い」が持てなかった。前進している気がしないのだ。
その理由がずっと分からなかった。
自分で決められない大人はきっとたくさんいる
人生に手ごたえも張り合いも感じない理由、それは「自己決定の欠如」だった。
自分で決めた気でいた進路も、実は本物の僕の意思じゃない。
社会の風潮や流行りの思想みたいなもので、なんとなく流されたのだ。
そんなことにようやく気がついた。
泣けてくるよ。だってもうすぐ37だぜ?
年齢ばっかりいい大人になって、何も自分で決めていなかっただなんて。
そりゃあ手ごたえもないし、一目置かれる実績を残すこともできはしまい。当事者意識がないのだから。うまくいかないのは、どこかで他人や社会のせいだと思っているんだから。
そんな覚悟のない人間が、成功するはずはなかったのだ。
世の中には10代からすでに、しっかりと自分で決めて人生を歩んでいる人もいる。
そうでなくても成人するころには、ちゃんと自分で決めて大人になっていく人も多い。
僕はそんなたくましい人たちから、20年も遅れをとってしまった。
高校当時、思えば監督から一目置かれていたチームメイトの主力たちは、しっかりと自己決定して取り組んでいたのだろう。
少なくとも彼らは、僕のように「意志薄弱」と言われることはなかったし、中途半端な”意思のない”プレーをすることもなかった。
それが主力と”頑張ってる風”メンバーの差だ。
その差は二十年経った今、率直に言ってしまえば収入の差として現れている。
僕のように、30代とかになっても、なかなか決断できずに流されるまま生きている人は多いだろう。
そんな人たちは、総じて「やりたいことがわからない」状態に陥っているのではないだろうか。
人生このままじゃいけない気はするんだけど、何をしたいのかわからない。だから、何かを変えたくても、”決められない”。
そんな状態では毎日モヤモヤして、充実感がまるでないものだ。
人生がつまらないものになる一方だろう。
僕らはもっと考えないといけない
僕以外の大人(の年齢の人)たちがどう考えているかは分からないが、いい年して僕のように右往左往している人はかなり多いのではないかと推測する。
ちきりん氏は本の中でこうも書いている。
意見を持つには考えるしかない
いたってシンプルだ。
要するにこの本は、「自分の意見を持って生きよう、意見を持つには、考えろ」ということしか言ってない。
意見というのは「答えのない問い」に対する回答であり、いくら調べても答えは見つからない。
だから、「自分の生き方がわからない」「自分のしたいことがわからない」と悩んでいる人が、一生懸命ネットで調べたり、本を読んだりするけど、答えは見つかるはずがない。
そして、そこに答えを求めてしまうと、スピルチュアルにハマったり、怪しい新興宗教に入信したり、インフルエンサーの教祖ビジネス(オンラインサロン)に入ってしまうことになる。
そして、ますます深い迷路に迷い込んでしまう。これではカモだ。
そうなると、自分のアタマで考えることをしなくなるので、ますます「自己決定」できなくなる。
そしたら”教祖様”に金を貢がされてしまう。これを”搾取”という。
そうならないように、気をつけよう。
自分が何したいかも、どんな人生にしたいかも、自分のアタマで考えることでしか見つからない。
そろそろ、みんなで自分の人生を生きようじゃあないか。
自己決定の人生はまだ遅くない
もう37だよと言って僕は一人暗い部屋でむせび泣いたが、そんなこと言ったら40代、50代の先輩方から怒られてしまう。
おまえなんかまだまだ若えじゃねえか、と。
40代でも50代でも、ワケあって自己決定できなかった人もいるかもしれない。
自己決定できないのは、本人が悪いのではない。
自己決定させないように育ててきた親たちもいるし、学校の仕組みがそうだからだ。
言うたら、自己決定を良しとしない社会に、僕らは育てられた。
だから、意見を持てない人、自己決定できない人が、怠けて生きてきたとは全く思わない。僕も含めて。
みんな必死に生きている。
生きづらい世の中で、どうにか幸せをつかもうともがいている。
将来に不安を抱えながら、自分の人生を模索しているのだ。
だからこそ、そういう人たちこそ報われる番だと、僕は思う。
充実感のない日々の原因がわからずに生きるのは苦しいものだ。
永遠に出口の見えないトンネルにいるみたいなのだから。
そんな人たちは、もがき苦しんでいるだろう。
もがき苦しんだ僕だからわかる。
だから、報われてほしい。
そのためには、今からでも自分のアタマでしっかり考えていこう。
いつからだって遅くはないはず。
考え始めたときから、自分の人生は始まるのだ。
自分で作戦を決めて実行できるようになった時、夢の中で僕のバントは成功するだろう。