M氏:「それじゃあ、今度またご一緒しましょう!」
はしもっ:「ホンマにええのんか」
M氏:「もちろん。パートナーは多い方がいいですから」
はしもっ:「もったいなきお言葉。ほな再来週でよろ」
駒ヶ根駅前の店でソースカツ丼にかじりつきながら、奇妙な出会いにワクワクを感じていた。
まさかこんなに早くクライミングパートナーが見つかるとは。
引き寄せの法則とはこのことなんだろうか。
この男、M氏。
歳は僕よりも一回り以上も若いが、浅黒く焼けた顔にオークリーの攻撃的なサングラスをかけた姿は、実年齢より7つくらい上の印象を与える。
今年から某登山用品店に就職予定で、バリバリのアルパインクライマーである。
M氏:「普通、冬はそんなに捻挫しないですけどね笑」
はしもっ:「お約束通りのミスです。情けない・・・」
僕は痛む足首をさすりながら、厳しくも美しいあの崖を思い出していた。
中央アルプスは宝剣岳・サギダル尾根。
雪山の初級バリエーションルートとしてメジャーなこの尾根。
かつてない滑落の恐怖と多くの学び、そして出会い。
この場所が与えてくれたものの大きさに、あらためて感謝と畏怖を覚えるのだった。
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中央アルプスの拠点、伊那市に前泊
話は前日に遡る。
勤務先がたまたま2連休になったことで、高速バスを使って前日入りする行程が組めた。
新宿バスタから高速バスで伊那市バスターミナルへ。
4時間ちょっと、乗り換えなし、席ガラガラで超快適な旅である。
しかも格安。貧乏な旅人にはありがたい。
伊那市BTに到着するや、前泊予定のホテル青木へ直行する。
ここもまた格安だが、ご主人も女将さんもやさしい方で、いいホテルだ。あと猫もかわいい。
そんなにキレイとは言えないし設備もレトロだが、僕にとってそんなことは二の次だ。
人が良ければそれでいい。
逆に、どんなに小綺麗でシュッとしたホテルでも、従業員がクソならやはり居心地が悪い。
結局人は心で生きてるんだなあと思う。
便利で快適な世の中だが、どこか味気ない感じがするのは、人情みたいなものが忘れられている気がしてならない。
本当は最寄りの駒ヶ根駅周辺に宿泊したかったが、安宿があまりないので断念した。
伊那市から電車で20分ちょいで駒ヶ根なので、費用を抑えたい人にはおすすめのパターンである。
晩飯のおすすめをホテルのご主人が教えてくれた。
「うしお」という店で、創業50年以上になるらしい。
名物のローメン(焼きそばっぽいB級グルメ)に舌鼓を打ち、ビールで一杯やった。
早めに寝たが、遠足前症候群で3時半に目覚めてしまった。
駒ケ岳ロープウェイへ
ホテルのモーニングコーヒーをいただいて、余裕を持って出発。
伊那市駅から6:53の電車に乗り、駒ヶ根へ。
今日は予報通り快晴、雪をまとったアルプスの山々が眩しいが、登校する田舎の女子高生のほうががまぶしい。
あの子たちから見たら、僕はおっさんに見えてるんだろうな。と、まだまだおっさんじゃないと自認する僕は思う。
近頃、残りの人生で何ができるか、と考えることが多くなった気がする。
僕はまだまだ若い。まだいろんなことにチャレンジできる。
だが、あの高校生たちから比べれば、人生の可能性は大きく減ってしまっていることもまた事実だ。
人生そう長くはない。だから、自分にとって大切なことをよく見極めていかないとな。
などとぼんやり考えているうちに駒ヶ根に着いた。
空気はひんやりして気持ちがいい。今日はいいぞ。
あらかじめリサーチしておいた最寄りのセブンで、朝メシと行動食、水を調達する。余裕を持って駒ケ岳ロープウェイ行きのバスに乗る。
我ながら完璧な行動計画。
山や旅のことならちゃんとできるのに、これが仕事となると、僕は全くもって無能である。
当たり前のように夜更かしし、寝坊し、予定を忘れる。社会不適合者なのだ。
昔はそんな自分に嫌悪感を持っていたが、最近はもうあきらめた。努力してもずっとそうなのだから、そういう気質なのである。
できないことに悩むより、できないことはさっさと認めて、その上で自分にフィットする生き方を選んだほうが、よほど心地よい。
と最近気づいた。
などと考えているうちに、駒ケ岳ロープウェイ・しらび平駅についた。
予定は宝剣岳から木曽駒ケ岳!
途中の菅の台バスセンターで大量の登山客が乗ってきた。さっきまで3人くらいしか乗ってなかったのに、一気に満員。
なんでもない平日なのにびっくりだ。
おそらく、菅の台周辺のホテルに前泊するパターンの人が多いのだろう。
ここは早太郎温泉郷という温泉街で、いつか泊まってみたいなと思う。
ロープウェイで千畳敷駅に着くと、たくさんの登山者はそれぞれに散っていく。
だがほとんどの登山者は、まっすぐ千畳敷カールを登り、木曽駒ケ岳に至るルートだろう。
それもいい。
でもねえ、それじゃあちょっぴり冒険が足りないんだよなあ。。。
だから、僕の予定はこうだ。
千畳敷駅からカールの方に行かず、南に伸びる夏道をから極楽平を経由して宝剣岳。
宝剣岳から木曽駒ケ岳に抜けるルートである。
アイゼンを装着してスタート。他の全員と違う方向に一人向かう僕。
そんな自分に、くだらない優越感を覚える。
ガキの頃から僕は、なんとなく人と同じが嫌で、よく一人だけみんなと別の行動をしていた。
一事が万事なのか、いつの間にかそういう行動パターンが、人生スケールにも反映してきているように思える。
人と同じく普通に会社勤めするのも嫌になって辞めたし、人と同じように将来の貯蓄などしていない。
多くの人と同じように家庭を持つことに興味がないし、マイホームも欲しいと思わない。
というか、そういう能力が無くて、できない。
できないことに無理やり自分をフィットさせるのを努力というなら、そんなものは必要無いと思う。
それが何よりストレスなのだから。だから、苦しかったんだ、ずっと。
人と同じでないといけない、でもできない。
無理矢理きちんとした大人を装って、その中で優れようと頑張ってしまう。
それは自分に足枷をしているようなもので、人の可能性を大いに制限してしまうのだ。
目の前の尾根を直登!
千畳敷駅を出ると、すぐ目の前にどーんと構える岩峰があった。
かっこいい看板で「宝剣岳」とある。
(ほう、これが宝剣岳・・・)
さて、と地図を見ると予定のルートは大きく迂回し、雪原をトラバースしてもう一つ向こうの尾根に向かうようである。
(うーん、なんだか遠いなあ・・。それよりも、この目の前の尾根を直登のほうが面白くね?)
正面にそびえる岩峰、そこから伸びる尾根。
宝剣岳に続く稜線直下には、荒っぽい岩肌が見える。
(よし、直登だ。)
その先がどうなっているのか、よく考える前に足がもう尾根に向かって進んでいた。まるで吸い込まれるように。
見た目よりもずっと急勾配の尾根をしばらく登ると、はるか眼下に千畳敷カールが広がり、アリのように人が列を成しているのが見える。
「フハハハハ!人がゴミのようだ!」
前回の山行から1ヶ月も経っていることもあり、なかなか足が進まない。息も上がってしまう。
月1回の山行しかできないようでは、いつまで経っても体力が付かないのだ。
だが今の生活ではしかたない。週1日しか休みがなく、フリーターなので給料も少ない。ワーキングプアだ。
一般企業に務める人なら、基本週休2日、しかもだいたい連休だろう。2連休あれば、毎週どこかしらの山に行ける。
サラリーマンを辞めて今の生活を取ったことに後悔はしていないが、やりたいことがはっきりしている今なら、高望みせず仕事などなんでもよかったのではないか、と思う。
平均的な給料で、週休2日というのは実はとても恵まれている。
まあ、今の生活がどうであれ、トレーニング不足は単なる言い訳でしかないのだが。
人は無いものを欲しがってしまいがちだ。
今の生き方を選択したのは他でもない自分だし、あれほど嫌だったサラリーマン生活を捨てたのだから、今の境遇に感謝するべきだろう。
ひーこらしながら登っていくと、下から見えていた岩稜帯の基部に着いた。
そこから上を眺めてみて、行けそうなら岩を登っていく。無理そうなら雪稜の最上部をトラバースして稜線に上がるルートを考えていた。
「まいっか。」
深く考えずに、行きたい方に行った。もちろん岩を直登だ。
緊張感が一気に増す。
垂直ではないものの、傾斜は60〜70度ほどもあり、足を滑らせれば一発アウトである。
ふと気が付いた。
「もうこの岩壁を下ることは不可能だ。」
すなわち、登り切るしかない。
毎度のことだが、奇行種である僕は、身の程をわきまえずに危険な山行に挑んでしまう。
前回はホワイトアウト、そして今回は滑落の危機である。
「ああ、また僕はなんてことをしているんだ。」
今回はサクッと安全に雪山ハイクのつもりだったのに、、、
それが気が付いたらアルパインクライミングになってしまった。
とはいえもう登るしか選択肢は無いので、余計なことを考えずに一歩一歩確実に登った。
行き詰まり、滑落のピンチ
そういえば、こんな所登っていい場所なのだろうか?
いや、でもなんかフィックスロープがあるし、なんかしらのルートではあるんだろう。
ふと下を見ると、さっき自分が通ったたルートを登ってくる人が一人いる。
カラフルなウェアを着ていて、いかにもやってそうな感じである。
ああ、ここを登る人がいるんだな、ならここは登れる場所なんだ。と、少し安心する。
とはいえ、1つの岩を越えるごとに、確実に難しくなっている。
滑落したら、絶対に助からない高度と傾斜だ。
アイゼンは1歩1歩確実に効かせ、絶対に滑らないことを確信してからでないと、次の手が出せない。
ピッケルを刺し、それが確実に効いているのを確かめてから、次の足を出す。
1度でも失敗してはいけない。
しかし、ついに行き詰まった。
薄い雪の下につかみどころの無い岩肌。ピッケルを刺すための、確信できるポイントが無い。
もし不安定な所にピッケルを刺し、無理に足を上げたらどうなるか?
足のホールドも同様で、信頼できるポイントにアイゼンを刺せないと立ち込めないが、それも無い。
あれこれ難儀しているうちに、だんだん握力が無くなってきた。
焦ってもし滑ったら、、、死?
という状況を理解した時、滑落の恐怖で次の一手が出せなくなった。
救世主現る
ふと下を見ると、さっきはるか眼下に見えていたアルパインクライマーが目前に迫っている。
なんてスピードなんだろう。
かろうじて安定して立てるポイントで、彼に追いつかれるのを待った。
ほどなくして彼は僕のいる場所まで上がってきた。
道を譲るにも、狭すぎてそれすら難儀する。
はしもっ:「いやあ、ここをどうしたもんかと思って、、、汗」
彼:「ここ初めてですか?」
はしもっ:「そうなんす。とりあえず登ってみたら、ここが難しくて。僕ゆっくりなんで先行ってください」
彼:「初めてだと意外と難しいんですよね〜。じゃあ、スリングでここにセルフ取ってもらって、その間に入れ替わりましょうか。」
はしもっ:「え?ああ、」
彼:「スリング無いですか?じゃあ一旦これ貸すんで、ハーネスに、、あ、ハーネスも無いですね」
クライミング装備を持たない僕を見て、彼は僕にバリエーションルート経験が無いことを悟ったようである。
(よくいるんだよなー、安易にここ入っちゃう人)
そんな風に思われてやしないかと、母に叱られる子供の気分になった。
彼:「それじゃあ、スリングで簡易ハーネス作れるんで、それでやりましょう」
はしもっ:「すみません。お願いします。」
彼はまず自分のハーネスを側の立木にスリングでつなぎ、セルフビレイを取った。
手際よく別のスリングを取り出し、それを輪っかにして僕に渡した。
彼:「これを胴体に通してもらって、カラビナでつないでください。落下は止まりませんけど、体重かけるくらいは大丈夫です」
瞬時にそういった対策を出してくる、手際の良さは経験値の高さを思わせる。さながらレスキュー隊だ。
彼の一連の流れるような作業に、僕は見とれてしまった。
彼:「ゆっくりでいいですよ。」
慎重に足場を探りながら、狭い岩の上で体を入れ替え、スリングを立木につないだ。
はしもっ:「つなぎました。大丈夫そうです」
彼:「じゃあ先に上がって待ってるんで、合図したら上がってきてください。」
そう言って彼は、僕が阻まれていたポイントをよじ登った。
彼:「いいですよ〜!ここ無理だったら最悪ロープ垂らすんで!」
はしもっ:「あたい、がんばる!」
彼の手本を見たとはいえ、さっきの岩は今の僕には危険だと判断し、フィックスロープで登ることにした。
しかし、ロープはただの1本のヒモなので、掴んだ手が滑ってしまうことに気がついた。おだんごが無いと止まらず、握力だけでスリップさせないのはどうやら不可能だ。
彼:「行けそうですか〜?」
はしもっ:「ロープが滑って厳しいです!」
彼:「ロープ出しましょうかー!?」
この期に及んで、見ず知らずの人のロープに頼るのははばかられた。それでは本当に、自力でどうにもできない迷惑登山者ではないか。
それだけは嫌だった。どうにかして登る方法は、、、
はしもっ:「大丈夫です!木を登れそうです!」
彼:「ゆっくりでいいんで!」
不恰好だが仕方ない。スリングを繋いでいた木をよじ登り、なんとか行けそうだった。
と、ザックのショルダー部分あたりで何かがプラプラしている。
はしもっ:「!! ストック落としましたーー!」
ショルダーに取り付けていたバンジーコードがいつの間にか緩み、ストックが1本だけぶら下がっていたのだ。
もう一方はどのタイミングで落ちたのかわからない。
しかし今はどう考えても諦めるしかないので、泣く泣く見捨てるしかなかった。
その名はサギダル尾根
なんとか彼の待つ5メートルほど上のポイントまでたどり着いた。
彼:「ストックは下に降りてから探してみましょう。双眼鏡持ってるんで。」
はしもっ:「まじすか!助かります」
さすが、ガチってる人は装備が洗練されているな、と思った。
僕は、こんな崖から落とした時点でもう諦めるものと思っていて、下から探すという発想は無かった。
彼がそういう引き出しをスッと出してくるということは、雪山ではあるあるなのだろう。
彼:「せっかくなのでこのまま一緒に行きましょう。雪の状態によっては懸垂下降が必要な場所もあるんで」
はしもっ:「ええのんか!?ぜひおねがいします!」
こんなにデキる人と同行させてもらえるなんて、この上なく幸運だ。
ロープワークや正しいピッケルとアイゼン使い、身のこなしを教わりたいと、常々思っていたからだ。
ガイド講習を検討してはいたが、いかんせん貧乏人にはキツい金額だ。
この機を逃さぬよう、彼の動きを全力で盗もうと気構える。
後ろから彼の動きをよく観察し、後についてその後のポイントをクリアしていった。
彼:「ここまで来れば、宝剣岳まではさっきのところよりも簡単ですよ」
はしもっ:「いやあ、一時はどうなることかと 汗」
彼:「たまにやっぱりロープなしで来て、動けなくなる人もいるみたいです。バリエーションルートは初めてですか?」
はしもっ:「そうなんす。というかここバリエーションルートだったんですね。」
彼:「そうです。バリエーションでは初級ルートですね。サギダル尾根。」
はしもっ:「ほうサギダル。知らずに来ちゃいました・・・」
彼:「簡単そうに見えるんですけどね。初めてだと結構難しいです。それでも、バリエーションルートの中ではぜんぜん簡単です」
まじか。こんなに苦戦したのは初めてだったのに、バリエーションルートいうのはさすがに甘くないな。
はしもっ:「そうなんすね。でもめっちゃ面白かったです!バリエーションもっとやりたいんですけどね、、いかんせんロープもわからないし、パートナーがいないんですよね・・・」
彼:「もしよかったら、今度また一緒に登りませんか?」
なぬ?
はしもっ:「ええのん?道具持ってへんで」
彼:「貸しますよ。まあまた後ほど。」
もしそうなったら、非常に心強いしこんなに有難いことはない。
しかし、話の流れ上そうなっただけかもしれないので、過度に期待しないでおいた。
思わせぶりな女の子に期待したがアテが外れて、人知れずむなしいパターンとかあるからね。彼は男だけど。
サギダル尾根を登りきり稜線に上がると、日本とは思えないような光景が広がっていた。
思わず、(アフン・・)と鼻息が漏れる。
どこまでも深い青、荒々しい黒、そしてそれ自体が発光体のように輝く白。3色だけの世界。
北アルプス、南アルプス、八ヶ岳、御嶽山、そして富士山。
日本のそうそうたる峰々が一筆書きに見渡せるここ、中央アルプスは、まさに日本の中央にいるように錯覚させた。
初めての懸垂下降、そして宝剣岳へ
あまりの景色にキョロキョロしながら稜線を進んだ。
心強い救世主がいることと、サギダル尾根でのピンチを乗り切った安堵感から、足取りは軽かった。
キレッキレのナイフリッジに差し掛かった。
左右のどちらに落ちてもまず助からないであろう高度。100メートルくらいはあるか?
彼を先頭に、慎重に進む。
彼:「ここでこないだ、強風に煽られて滑落した方がいるみたいです。下から吹き上げてくるんで、簡単に飛ばされますね」
今日は風が弱く、無風のタイミングもあった。
蔵王で経験した暴風を思い出す。もしこんな場所であの風だったらと思うとゾッとした。
いくつか岩場を通過すると、最後の難所である下降ポイントに着いた。
彼が下を覗き込み、雪の状態をチェックする。
彼:「やっぱり結構悪いですね。懸垂しましょう。」
そう言うと彼は手際よく、ロープを準備し始めた。
スリングを1本、手頃な岩にかけた。残置用スリングらしい。
ロープを準備しながら、さっき出会ったばかりの僕に色々と解説してくれる。
見ず知らずの僕に手間をとってくれるので、少々申し訳なさを感じる。
彼:「で、通常はコレ使うんですけど、今日は1つしか無いのでロープで作ります。」
と言って、ハーネスのギアループに下げていたロープを取り出し、手際よく結んだ。
ビレイデバイスの代用になる結び方で、サクッと扱い方をレクチャーしてくれた。
彼:「手でスライドさせると下がって、こっちに体重かけると止まります。」
はしもっ:「おお、なるほど。」
こんな技術もあるのかと関心しきりである。
無駄のないレクチャーの後、彼は自分のビレイデバイスをセットし、先に下降した。
彼:「合図したら降りてきてください。ゆっくりでいいですよ。」
はしもっ:「Yes! Drill Sergeant!! (はい!軍曹殿!!)」
教わった通りに下降してみる。
どうもビビって腕が縮こまってしまう。ビビって結び目を掴むと、余計に止まらなくなる。
あれ?あれ?ズルズルと半分滑りながら、ごまかしごまかし降った。
どうも体重の掛け方とロープを滑らす加減がわからなかったが、不恰好ながら降りた。
こういうロープワークが自立してできるようになれば、もっと自由に山を駆けめぐれるのだなあ。と思うと、なんだかウキウキして落ち着かなかった。
その後、宝剣岳の名所である空中に張り出した岩(トロルの舌というらしい)ではしゃぎ、写真を撮ってもらった。
そして、ほどなくして宝剣岳山頂に到達する。
君の名は。
頂上の標識は雪で埋もれているようで、なんともピーク感のない頂上である。
風も無いのでここで休憩することにした。
はしもっ:「これ食べます?」
彼:「いただきやす」
と言って持参したあんぱんを彼に差し上げた。
ただのセブンの4個入りパンだが、山で食う食事はいつも最高のご馳走になる。
はしもっ:「もう一個どうすか?」
彼:「いただきやす」
そうそう、そういえばさっきから自己紹介していなかった。
いい歳してシャイボウイな僕は、自然にあいさつするタイミングを測りかねて喉につっかえていた。
はしもっ:「そういえばお名前聞いていいですか?僕ははしもって言います。」
彼:「あ、どうもM氏です。」
はしもっ:「M氏さん、よろしくお願いします。おいくつなんですか?」
M氏:「21です」
はしもっ:「わけっ」
僕よりは若いなあとは思っていたが、サングラス越しの精悍な顔つきからは想像もつかなかった。
僕が働いてる店のバイト君らと同じ年代だなんて。
話したいことはいろいろあったが、時間もそんなにないので、ひとしきり撮影会をした後下山を開始した。
宝剣岳頂上から木曽駒ケ岳方面直下の崖も急峻なので、ここでも懸垂下降することにした。
残置スリングがあったので、それを使ってM氏は手早く準備した。
山で人のピンチを助けるクライマー。かっこ良すぎる。
女子なら惚れてまうやろ。白馬の王子様みたいなのだから。
だがすまんなM氏。おれ、実は男なんだ・・・
M氏の心の内など知る由もないが、ロマンスを期待するのは男のサガだ。
僕は、心の中でM氏に謝罪した。
下山開始も・・あわや滑落
宝剣岳山頂から木曽駒ケ岳方面に向けて下山を開始した。
本日2度目の懸垂下降だ。
1回目はビビって縮こまったが、今回はさっきよりうまくできた。ビビらずに体重を預ければ、ロープは止まる。
急角度の雪稜をトラバースするポイントに差し掛かった時だ。
ごく簡単な感じで通過するM氏、僕はそのトレースを追った。が、
ズルルッ!!
足が滑り、反射的に滑落停止姿勢を取った。
危険ポイントをクリアし、多少気が緩んでいたのだろうか。アイゼンがしっかり効いていなかったのだ。
運良くピッケルが深く雪に食い込み、初動で止めることができた。
はしもっ:「うお〜〜アブネーー!ヒヤッとしたはー」
M氏:「危なかったすね!たまたまピッケルが山側を向いてて良かったです。」
確かに運が良かったのかなあ。
M氏は”たまたま”だと言った。しかし、大事に至らなかったのは一応僕なりの根拠がある。
念のため、特に下降の時、僕は常にピッケルの刃を山側に向けておくように心がけているのだ。
またトラバースの時は、ピッケルをいつも山側の手で持っている。
登山初心者の僕ごときが山について語るのはたいへんおこがましいが、いちおう僕なりに勉強していたからできたのだと思う。
とはいえ、たまたま運が良かったといえばやはりそうなのかもしれない。
たとえ上手く滑落停止姿勢が取れたとしても、ピッケルが刺さった雪ごと崩れ落ちてしまう可能性もあったのだから。
”たまたま”うまくピッケルが効いた、のだ。
日本人初の14サミッター、竹内洋岳氏は著書『登山の哲学』の中でこう書いている。
ガッシャブルムⅡ峰にて雪崩に遭い、生死の境を彷徨った経験を振り返っての言葉である。
自分は運が良くて助かったのか?仮にそうならば、二人の仲間は運が悪くて命を落としたことになる。そんな理屈は絶対に受け入れられない。
ー中略ー
人の生き死にまでも、運で片付けてしまうことはできない。
自分の命が助かったことを、私自身が「運が良かった」と認めてしまうことは、命を落としたアーネとアーンツの家族に対して、「運が悪かったですね」と言うのと同じことです。
ー標高8000メートルを生き抜く 登山の哲学(NHK出版新書)より引用
うーん、重い。竹内さんほどの方が言うのだからぐうの音も出ない。
彼の言葉と僕ごときの戯れ言など比較にならないのは百も承知だし、その通りだと思う。
しかし、人生は多分に運によって左右される、というのが僕の考えだ。
もちろん、技術も知識も持たず、運任せで登山ができるかと言ったら絶対にそんなことはありえないのだが、運要素も確実にある。
なんの実績も無いどころかただの趣味登山者が何知った風な口聞いてんだ!と思うだろう。
しかし、どんなに偉大な人が言うことだからといって、ただただ鵜呑みにするのは、思考停止ではないか?
たとえ間違っていようとも、自分の経験と自分の頭で考えることは、自分の人生を生きる上で大切だと思うのだ。
・・・などとほざいてみたが、この”運”というテーマについては、僕はまだきちんとした答えが出せない。
今述べたことも、そのうち真逆のことを言うかもしれない。だが、それも人生だ。
初めから全ての答えを出せるなら、人生の意味がない。
千畳敷駅に帰還。
宝剣山荘付近まで下山すると、木曽駒ケ岳から降りてきた登山者さんに会った。
その人:「あっち(宝剣岳)行ってきたんですか!すごいですね!」
はしもっ:「僕は登れなかったんですけど、彼(M氏)に助けてもらって。」
M氏の方を見ると、どうやらまんざらでもない感じで、ちょっとうれしそうに見える。
M氏:「こういうのがバリエーションのいいところでもあります。(ニンマリ)」
はしもっ:「それな。」
山が好きで登っているのには違いないのだが、ちょっとチヤホヤされるのはぶっちゃけうれしい。まあ、今回僕は自力で登れてないのだけど。
そこから八丁坂をゆっくり下って、千畳敷駅まで帰還した。
千畳敷カールはさすが名所、景色が圧倒的で、何度も振り返りながら下った。
さて、残るミッションは、落下したトレッキングポールの捜索である。
M氏から双眼鏡を借り、可能性のあるあたりを探す。
・・・・あった?っぽい?
距離にして約200メートル。もうほとんど岩陵帯すぐ手前の雪稜に、自然物ではない枝のようなものが。
だがはっきりとストックだとは確認できない。
どうする?最終のロープウェイまであと30分。
あそこまで行ったとして、もしストックじゃなかったら?
M氏:「どうしますかーー!」
はしもっ:「行ってきます!!」
意を決して走り出した。近づいてみて、もし違うものだったら引き返すだけだ!
うおらぁぁぁ!!
・・・10秒後。息切れして失速。
見た目よりずっと急な尾根。本日2度目の登り。こたえるぜ!
わずか200メートルが地獄のような長さだ。
息も絶え絶え目標物のところまで達した。
見事ストックの回収に成功。
あとは下りだけだ。
最後にして最大のミス
3分の2ほど下って、傾斜も緩やかになったころ、歩くのがめんどくさくなった。足も限界だ。
(よし、尻セードだ!)
もう1秒でも早く降りたい気持ちで、スライディングをかました。
赤岳の時にうまくいった、オレ流スライディング式シリセードだ。
ズザザザーーー!
(あれ!?やべえスピードが出過ぎる!ブレーキ!)
ガガッ!グキッ!!
左足首が嫌な角度でひん曲がった。
尻セードお約束通りの凡ミス、アイゼンを引っ掛けてしまったのだ。
ぐああああ!やっちまった!痛え!!
幸い歩けないほどではなかったが、残りわずかな距離を左足をかばっての下山により、右太ももが攣るほど疲労した。
M氏が心配そうに見ている。
はしもっ:「やっちまいました。。。」
M氏:「大丈夫ですか?」
はしもっ:「腫れてないんで、大丈夫です、、」
なんとか歩けるレベルで良かった。
捻挫自体、生まれて初めてかもしれない。昔から怪我をしにくい体質のようで、親に感謝である。
そして次の目標へ
M氏:「こういう顔してます 笑」
はしもっ:「あ、どうもはじめまして」
サングラスを外したM氏は、その顔にまだ少年ぽさを残す年相応の印象だった。
大人になれば年齢の上下なんて関係ないが、何かを成し遂げたり、厳しい環境に身を置く人間の顔には鋭さがある。
その鋭さは、実年齢よりも上に見えさせるのだ。
実年齢よりも若く見られがちな僕は、ユルい顔をしているのかなあ。
まあ、実際に何も成し遂げてないしな。
などと、どうでもいい問答をする。
バスに乗り、駒ヶ根駅まで戻った。
助けて頂いたお礼もかねて、近くのソースカツ丼屋で食事代を払わせてもらうことにした。
M氏:「次はどこにしましょうねえ?行ってみたいルートとかあります?」
はしもっ:「そうですねええ、、」
(よかった。次回も同行できる話はホンモノだった・・・)
はしもっ:「いろいろあるんですが、谷川岳の西黒尾根か、西穂高か、阿弥陀岳北陵、赤岳主稜、とかですかねえ。谷川の東尾根も興味あります」
M氏:「今の実力からすると、阿弥陀の北陵あたりが次のステップとして良さそうですね!」
はしもっ:「おお!それお願いします!前に赤岳行った時、登りたいな〜って眺めてたんですよ」
とういうことで次なる目標が決まった。
阿弥陀岳北陵。アルパインクライミング入門ルートの一つである。
入門ルートとはいえ、赤岳から見た北陵の傾斜角度は、一般登山道のそれとは全く段違いだ。
正直もう少し先のチャレンジになると思っていたが、なぜか驚くほど話がトントン拍子に進む。
人生において、いい流れを掴む時ってこういうものなのかな、と思う。
そしてたぶんだけど、そのいい流れっていうのは、自分の内なる世界と外の世界が繋がった時に起こるのではないか?
簡単に言うと、本当に好きなことをやると、チャンスを掴みやすい。
キャッチしやすくなる。場合によっては、向こうからチャンスが寄ってくる。
結果、偶然幸運に恵まれたように見えて、実は必然的に内側と外側が引き寄せられる。
これが引き寄せの正体???
これは”好きだと思いこもうとしている”ものだと起こらない。
こうなりたい、ああなりたい、有名になりたい、お金が欲しい、、、そういうものでは起きないのだ。
なぜなら、潜在的には別にそのもの自体が好きではないので、心は本気でキャッチしようとしていないからだ。
もし、今あなたが何か手に入れようと努力しているにも関わらず、一向にチャンスが訪れず、心が苦しいなら、それは心が純粋に求めるものではないのかもしれない。
好きなことを追求している時って、必ず楽しいはずだから。時に困難があっても、それを含めて楽しい。
本当のホントは辞めたいのに、キマリが悪くて辞められない。そんな時が一番苦しいのだ。
そんな時は、恥を捨てて、それまでの積み上げも捨てて、自分を解放してしまえばいい。
そうして純粋な心を見つけたら、驚くほどパワフルな自分に出会えるはずだ。
あれ?俺ってこんなに頑張れるんだ。。。!ってね。
それからM氏は、最低限必要になるギアを教えてくれた。
山について、道具について、話は尽きなかった。新宿行きの高速バスを待つ2時間ほどがあっという間だった。
こんなにマニアックな話をできる相手はそうそういない。
はっきりした目標に向かっている時、人は充実感を覚える。
それを達成すればもちろん最高だが、それに向かう道中が、最も幸せな時間なのかもしれない。
残りの人生、できる限り多くの時間を、そういう時間にしていきたいと思うのだ。