今日の実績は9.8キロジョグ。小説は約2,000字。
ランの方は疲れが抜けていなくて体が重かったが、執筆の方は1.5時間くらいでまあまあはかどった。
今の僕の脚では、10キロくらいを3日続けるとだいぶ疲労が溜まってしまう。
昨日、今日とペースはゆっくりのジョグにしたが、それでもなかなかしんどかった。
結局今まで月間200キロを超えたことがないので、今月は達成したい。
今の僕にはけっこうきつい距離だが、いうても200キロだ。ランナーならみんな走ってる。
これくらいはあたりまえにこなさないと、とてもフルマラソンどころではない。
今日のランは、大宮公園の第3から第2をまわるパターンをとってみた。
僕の場合は毎回違うコースを走るが、これが結構新しい発見とかがあっておもしろい。
大宮第2公園には梅林の道があるんだが、さすがにまだ咲いてない。
・・・と思いきや、ちらほらと赤いつぼみをつけてる木がある。
それで気づいたんだが、梅の花も、もうすでに準備してるんだな、と。春の訪れにむけて。
そう、当たり前のことなんだが、なにか物事を成すには、準備というものが必要だ。
事前に、何ヶ月も何日も、場合によっては何年も前から、準備をスタートするプロジェクトだってある。
今までの僕は、そんな基本的なことまでわかっていなかったと思う。
インスタントで、何か一つうまくいけば、ポッと稼げたり有名人になったりする。
努力なんかいらなくて、成功するのに効率のいいやり方があるよ。まだ知らないの?みたいな風潮。
そしてそういうのでうまくいった事例ばかりもてはやされ、ありがたがる世間。
そんな空気に流され、僕自身もそんな、超効率社会の幻想に惑わされていた。
一つ歯車さえ合えば、突然道が開けるもんだと、思いこんでた。
でも、やっぱりそうじゃあない。
たまたまうまくいったレアケースなんかを自慢したところで、それは上手にインスタントラーメンが作れたくらいの話だ。
本質的な価値ではないのだ。
世の中にはちゃんとしたものだってたくさんある。
それはしかるべき手間と時間をかけて、作り上げられたものだ。
偉大な建築物、芸術、事業、プロダクト、それは効率を追求したところでできるものじゃあない。
時には無駄とも思える積み上げがあって、やっと完成するようなものだ。
僕はもっとそういうものに目を向けるべきだったし、そういう生き方を実践すべきだったと思う。
ある日突然、いいアイディアを思いついて、一つのチャンスでうまくいくなんてことはないのだ。
でも実際は焦って、そういうものばかり追い求めていた。
梅の花でさえ、毎年の決まったスケジュール通りに、周到に準備していたのだ。
きちんとしかるべき時期に、つぼみを蓄え、春に咲かすのだろう。
もっと言えば、つぼみの前に、1年かけてエネルギーを蓄えてきたのだ。
梅の花でさえ、などと言ったら梅の花に失礼だろう。
僕は梅の花にこそ、学ぶことがあったわけだから。
何かを成すには積み上げが必要。しかるべき時間と手間と、準備。
今はまだタネを蒔く時。梅はまだ木にすらなってない。
やがて葉を付けるだろうか?花までこぎつけることができるか?
いずれにしても、いきなり花は咲かない。それだけは確かだ。