僕が近頃になって突然走り始めたのは、どっかの記事でなにやら村上春樹がめっちゃ走ってるらしい、と書いてあるのを見かけたからです。
というかそれの前に、突然「小説書きてえなー」と思い立ったのが先立ってはいるというのが正確なところですけど。
小説という魔界に足を踏み入れてしまうならば、村上春樹という大魔神との邂逅がほどなくして訪れるのは、コーラを飲めば必ずゲップが出るくらい確実なことですから。
もともとランニングなどという行為をやってみようなんて毛ほども考えたことはなかったんですが、なぜか村上春樹大魔神が走っていると聞いて、「へー。じゃあ俺も走ろう。」という気になったのです。
それで走るということにニワカに興味を持ったわけですが、それが小説を書くということにどう繋がるのか?全く想像がつきませんでした。
いろいろ調べていくうちに、走るという行為と脳の関係性について書かれている文献にたどり着き、まずはこれを読んでみたわけです。
そしたらこの本の中で、村上春樹の【走ることについて語るときに僕の語ること】という本が紹介されていたのです。
村上春樹という天才が、小説について、そして走ることについてどう考えているのか?これは知りたくならないはずはありません。
てことでさっそく本屋に行って買って読みました。(ほんとはまだ途中までしか読んでない)
最新の脳科学で証明されている”走ることで脳が鍛えられる”を村上は体感で知っていたのか?
「走ることについて語るときに僕の語ること」を冒頭の方だけ読んでみても、村上春樹が体感的に、走ることが脳やストレスに対し好ましい影響を持つことを理解しているように読み取れます。
例えばこの部分
誰かに故のない(と少なくともぼくには思える)非難を受けたとき、あるいは当然受け入れてもらえると期待していた誰かに受け入れてもらえなかったようなとき、僕はいつもより少しだけ長い距離を走ることにしている。
ー『走ることについて語るときに僕の語ること』村上春樹/文藝春秋
『一流の頭脳』(アンダース・ハンセン/サンマーク出版)では、
走ることで脳が鍛えられ、ストレスへの耐性が強化されることを繰り返し解説されています。
引用した村上春樹の記述によると、誰かから避難を受けたり、受け入れてもらえなかったりするときーすなわちストレスを感じたー時はいつにも増して走るらしい。
人気作家としてやっていく上では、膨大な数の人から注目され、賞賛もされれば当然批判も避けられないでしょう。
そのような生活を長年続ける中で、心の健康を保つための対処法を、自ずと学んでいったのではないかと思います。
もちろん、村上氏が走り始めたのは1982年ごろからなので、当時の科学で走ることと脳やストレスの関係なんて証明されていませんでした。
なんで走ることや適度な運動が体に良いとされていたかは、せいぜいダイエットにいいとか体力がつくとかその程度の認識だったわけで。
村上氏ももちろん始めは体力を保つために走り出したわけですけども、長年続けるうちにそれ以上の効果があることを体感的に理解していったんでしょうね。
いずれにせよ、ちょっと何日か走った程度では到達できない理解です。
これは、四半世紀近くにわたり、村上氏が走ることを継続し、その中で自己との対話を続けた結果なのだろうと、僕は理解しています。
村上春樹は走ることをどう捉えているか?
村上氏本人はただ生活習慣のひとつなので、走るのを特別なこととは考えていないみたいです。べつにすごいこととも全く思っていない。
走っているときに何を考えているか?と聴かれて、困惑するそうだ。
特になにも考えていないから。
うん。確かに、これは僕にもわかる。
氏は「こういった質問をするのは、たいがい長い距離を走ったことがない人だろう」とも言ってますが、その通りな気がします。
僕もほんの何ヶ月か走ってるだけですけど、言ってることわかるなー。
確かに、暑いとかしんどいとか、フォームはどうか、今のペースはどうかなど考えてはいますが、ほとんど他のことを考える余裕はないですね。ただ走ることに集中しているというか、ただ走るために走ってるというかそんなかんじでしょうか。
村上氏はこう表現しています。
僕は走りながら、ただ走っている。僕は原則的には空白の中を走っている。逆の言い方をすれば、空白を獲得するために走っている、ということかもしれない。
中略
とはいえ、走っている僕の精神の中に入り込んでくるそのような考え(想念)は、あくまで空白の従属物に過ぎない。
中略
空の雲に似ている。いろんなかたちの、いろんな大きさの雲。それらはやってきて、過ぎ去っていく。でも空はあくまで空のままだ。
中略
空とは、存在すると同時に存在しないものだ。実体であると同時に実体ではないものだ。
僕らはそのような漠然とした容物(いれもの)の存在する様子を、ただあるがままに受け入れ、飲み込んでいくしかない。
ー『走ることについて語るときに僕の語ること』村上春樹/文藝春秋
やばくないですか?これ。
おそらく走る僕らが漠然と考えているーそれこそ想念のようにーことをこれほどまでに明確に、美しく言語化してしまうなんて!
これが筆力というもの?だとしたらなんという筆力なんでしょうか。かっこいい表現なんだけど小難しくない。
ここでの空とは、つまり僕らの心ですね。想念が雲。
実体があるけど、存在しない。
つまり僕らの心とは、どうこういじれるものではなく、ただあるがままに受け入れ、呑み込むしかないのですね。
おおーー、なるほど。わかりません。
村上春樹はナチュラルにマインドフルネスしてるな
マインドフルネスという瞑想の一種があります。
通常、瞑想とは座禅を組んで心を静かにするようなものをイメージしますが、歩行瞑想やランニング瞑想法というのもあります。
マインドフルネスの手法とは、心を無にするのではありません。
呼吸に意識を向け、別の考え(想念)が浮かんだら、そのことに気づき意識を呼吸に戻す、というものです。
つまり何かに集中することで、別の想念の存在に気づき、マインドをコントロールするということです。
これが脳をリラックスさせてくれるのです。
歩行瞑想やランニング瞑想は、呼吸瞑想では〈呼吸〉に置いていた意識を、一歩一歩踏み出す足や筋肉の動きに置き換えるものです。
ようは、そのことだけに集中し、想念をコントロールする、というもの。
経営者とか一流の人で走るということを習慣にしている人は、「頭がスッキリする」など、このような瞑想効果を狙っている方も多いんだそうです。
村上氏は上でこう言ってます。
「空白を獲得するため」
なるほど。これはマインドフルネスです。
走ってると、他のことは考えなくなります。自然に空白をつくれるんですよね。これはランニング初心者の僕でも感じています。
異常に忙しく情報量の多い現代に生きる僕らは、1日の中で脳を休ませる必要があります。つまり空白を獲得する必要がある。
それを、走ることが解決してくれている。
村上春樹はそんなことも、フィジカルで感じて理解していたんですね。
まあとにかく走ることについて語るときに僕の語ること読んでみなよ
誰かがこの本のレビューで「自己啓発本はこの1冊だけでいい」と書いていたって、アマゾンのレビューに書いてありました。
ほんとそうかもしれません。
べつにみんなも走ろうよ!なんて言うつもりはないですけど、何かしら、体を動かすのは全ての面において損はしないと思います。
体を動かすに限らずとも、自分の生活に合わせて、心と体のコンディションをいい状態に保つパターンはあったほうがいいでしょう。
そしてこの本では、自分で有限な時間とエネルギーに優先順位をつけ、どうふりわけていくかというシステムを作るべきだと言っています。
でないと人生はなんともメリハリのないものになってしまう。
この本は走るということが云々よりも、どういう考えでそのような生活になったか?を知ることができる本です。そしていうまでもなく、その生活こそが村上春樹という天才の土台になっているのです。
村上春樹というひとのすごいところは、そのように自分でリズムを作り、きちんと生活しているということなのではないかと思います。
あたりまえのようですけど、どれだけの人がそれをできてるでしょうかね?
少なくとも僕は、ぜんぜんできてません。クソです。
走ることが生活をきちんとつくる土台になってくれればいいなと思い、また走ろうと思います。