日記マラソン 鬱な雑記

逃げてもいいのか、逃げたらダメなのか?

今日のランは5キロ、6:45ペースのゆっくりジョグだ。

30キロ走で足首の故障が悪化したため、昨日は2キロを足を引きずって走るありさまだった。

しかし1日でだいぶ回復した。昨日キロ8分強だった超スローペースが、今日にはだいぶ速くなった!これは大成長だ。

もう少し走れそうだったが、そこは無理しない判断をした。

病院で教わったリハビリをやって、痛みの原因を根本から少しづつ改善していきたい。

 

今日の小話

今取り組んでいることや、今自分が置かれた環境がどうしても辛くて、キツくて逃げ出したいと思ったことは誰にでもあると思う。

仕事が辛い、勉強が辛い、練習が辛い、人間関係がヤバイ、、、など

そんな時、あなたはどう考え、どんな選択をしてきただろうか。

 

「逃げる」ということについて、そんな状況に置かれた場合、

”逃げちゃダメ”と

”逃げてもいい”の

二元論で語られることが多いと思う。

しかしそれは、常にどちらかが正しいと言えるようなものだろうか?

 

逃げちゃダメ派は、「一度逃げたら逃げグセがつく」「戦って負けるのはいいけど逃げる諦めるはダメ」「甘えてる」「逃げるのは恥」などと言って、逃げた人間をものすごく蔑んで見てるように思える。

だから個人的にこういう根性系の発想はあまり好きではないのだが、体育会系出身の身としてはわからんでもない。逃げずに踏ん張ったからこそ得られる成果というのは、確かにあるからだ。

 

一方逃げてもいい派は、「嫌な事からは逃げていい」「逃げるのも戦略のうち」「一旦逃げて立て直せ」「苦手なことからは逃げて得意なところにいけ」などと言う。

正直自分はこっち寄りなのだが、それは自分が何度も逃げてきたからという、自己弁護的な理由が多分にあるのは否めない。

しかし、企業が採算の悪い苦手分野から撤退することもあるように、逃げは必ずしもネガティブな行動とは言えないのも確かだ。

 

 

だが、なぜかどうも、逃げちゃダメ派は徹底的に逃げることに対してネガティブな意見を持つし、その逆もそうだ。

だからなんとなく、自分はどっちの意見を持つ人間なのか、決めなきゃいけない気になる。

 

でも、いかなる時でも絶対に逃げない、なんてことが一生できるだろうか?

逆に、いつでもすぐに逃げてしまって、本当に何かを成すことができるだろうか?

 

いや、そのどちらでもないのであって、どちらでもあるのだ。

つまり、「逃げるときもあるし、逃げずに戦う時もある」というのが、人間というもんではなかろうか。

逃げる逃げないの二元論ではない。要するに時と場合によるのだ。

逃げなかったはずの人が、今回は普通に逃げた、とかがあっていいのだ。

いつも一貫した自分でいる必要はない。人間なんてそもそも矛盾しているものだし。

 

だから、状況により、いつも考えなくてはならない。

撤退か、粘るのか。

いつでも逃げずに戦う、嫌ならいつも逃げる、そういうふうに決まっていれば楽だろう。

だけど常にどちらか一方が正しい、と盲目的に信じている状態は、思考停止状態と言っていい。

そうでなくて、常に考えないといけない。迷うから大変なんだけど。

 

常に逃げないことを信じている人にはこう言いたい。

逃げないで我慢し続けたから、心を壊した人はいくらでもいる。

だいたい人類は危険から逃げて生き延びた遺伝子もある。自分はそうやって逃げ延びた個体の子孫かもしれないのに、逃げないことを強要するのはおかしくないか?

 

いつでもすぐ逃げちゃう人にはこう言いたい。

嫌なこと全てから逃げていたら、正直ただのワガママです。大人じゃありません。

辛くても頑張ったから成果を上げた人はたくさんいる。

嫌なことからは逃げなさい、という思想は書籍とかネットとかで最近流行ってるように感じるが、耳に甘いことばかり言い、「それでも戦わなければいけない時もある」という視点が欠けている。

 

どちらかの立場に立てば、どちらも正しく聞こえるはず。

どちらも正しいのだ。

だから、逃げる時もあっていいし、逃げずに戦わなければ、自分の望む結果を得られない時もあるのだ。

思考停止せずに、判断しないといけない。

そういうものなんじゃあないだろうか。

 

それこそ、考えることからは逃げてはいけないのかな。

いや、それすらも、場合によっちゃあ「考えるのをやめた」となっていいこともあろう。(ジョジョ2部のカーズだって最後は考えるのをやめたのだから)

 

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